【新改訳2017】
ヨハ
13:21 イエスは、これらのことを話されたとき、心が騒いだ。そして証しされた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります。」
13:22 弟子たちは、だれのことを言われたのか分からず当惑し、互いに顔を見合わせていた。
13:23 弟子の一人がイエスの胸のところで横になっていた。イエスが愛しておられた弟子である。
13:24 そこで、シモン・ペテロは彼に、だれのことを言われたのか尋ねるように合図した。
13:25 その弟子はイエスの胸元に寄りかかったまま、イエスに言った。「主よ、それはだれのことですか。」
13:26 イエスは答えられた。「わたしがパン切れを浸して与える者が、その人です。」それからイエスはパン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダに与えられた。
13:27 ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。すると、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。」
13:28 席に着いていた者で、なぜイエスがユダにそう言われたのか、分かった者はだれもいなかった。
13:29 ある者たちは、ユダが金入れを持っていたので、「祭りのために必要な物を買いなさい」とか、貧しい人々に何か施しをするようにとか、イエスが言われたのだと思っていた。
13:30 ユダはパン切れを受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。
間もなくクリスマスですが、今日はそれとはほど遠いユダの裏切りのお話です。イエス様は、私たちを罪から救うために人としてお生まれになりました。ヨハネの福音書13章21~30節は、イエス様が十字架にかかる前夜の「最後の晩餐」の場面です。
ここに「イエス様の心が騒いだ。」とありますから、イエス様は、激しい心の痛み悲しみを感じながら、「あなた方の一人が私を裏切ります。」と言ったのです。「裏切るのはユダです。」とはっきり言わなかったのは、ユダが自ら「私が裏切り者です。」と告白するのを期待していたのかも知れません。しかしユダは、しらぬ様子をして自分が裏切り者であることを隠していました。聖書は、全ての人が心の穢れ、罪を持っており、それを隠そうとすることを教えています。21~30節は、ユダが心に隠していた罪を明らかにします。同じように、私たちもやがて隠している罪が明らかにされることを教えているのです。たとえ死ぬまで隠しおおせても、死後、神様は私たちの罪を明らかにし、信じる者は罪を赦されて天の御国に行くことができるというのが聖書の約束です。
でも、どうやってこの隠している罪をイエス様に告白する勇気を得たらよいのでしょう。それには、イエス様の愛をもっと深く理解する以外に方法がないのです。23~25節のヨハネの様子に注目しましょう。イエス様が「あなた方のうちの一人が私を裏切ります」と言ったとき、弟子たちの間には極度の緊張が走るのですが、一方では「自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか」という議論も起こるのです。「私はイエス様のためにこれだけのことをしているのだから、裏切るわけがないだろう。」というのです。注意して読むと、著者のヨハネだけは、イエス様の胸のところで横になっていたとあります。ヨハネは自分を「イエスが愛された弟子」と紹介していますが、常に「自分はイエス様に愛されている」という確信があったのではないでしょうか。ここで覚えたいことは、「“能力や功績によって神に愛されているという揺るぎない実感”を持つことは絶対にできない。」ということです。
有名な「星の王子様」という小説に、「自分一人だけの小さな星でバラを育てている王子が、我が儘、気紛れなバラに愛想をつかして地球に来てみたら、綺麗なバラがたくさん咲いていて、自分の努力と時間が無駄だったことにショックを受けているところに、友人のキツネが来て、『君のバラが大切なものになったのは、君がバラのために時間を費やしたからだ。』と言った。」という場面があり、その言葉に励まされた経験があります。自分が犠牲を払った相手が、自分にとって大切なものになっていくことがあり得るのだということを知らされました。
私たちの能力や財宝とは全く関係なく、ただ一方的な恵みによって、イエス様はこの地上に降りてきて尊い犠牲を払って私たちを愛してくださったのです。
13章2~5節には、悪魔がイスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを前もって与えていたことがわかります。小さなことから始めて少しずつ少しずつ心の闇を広げ、大きな過ち導いていくのが悪魔の策略です。
私たちが悪魔の策略に陥らないようにするにはどうしたらよいでしょうか。それは、小さな隠し事の段階から、イエス様に罪を告白し続けることです。今日、今、私たちは、一つのことを決断しましょう。それは「イエス様に隠し事はしない」ということです。心にある暗闇をはっきり言葉にして、イエス様にお話してみましょう。どれほど聖書を読んでも、教理を勉強しても、イエス様に心の内をお話できないのであれば、どうして信仰やイエス様との信頼関係が生まれるでしょうか。
イエス様は何を聞いても引き下がらない方です。むしろ、「打ち明けてくれてありがとう。わたしもあなたに、わたしの心を伝えましょう。」と言ってくださいます。2000年前に私達一人一人を愛して罪から救うために、この世界に来て下さったイエス様を心から信頼し、まだ隠している罪があればそれを告白する、そのようなアドベントにしましょう。
【祈り】「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。(Ⅰヨハネ 1:9)」
天の父なる神様、イエス様は天国の座からこの世界に降りてださり、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかってくださいました。それは心の内に罪を隠している私たちが赦され、天の御国に行くためでした。私たちの心の内にある罪の性質は、自分の罪を神様から隠そうとするものです。イエス様は、私達がどうであっても愛してくださることを信じ、自分の心の罪をはっきり言葉にしてイエス様に告白できるように、勇気を与えてください。
(2023年12月10日礼拝 武田遣嗣牧師)
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